歴史

宝徳山稲荷大社の歴史は、遠く縄文の昔までさかのぼります

宝徳山稲荷大社の歴史のイメージ

古記録によると、殷帝大王(いててのひみこ)の命により、物部美万玉女命(もののべのみのわひめのみこと)が瓊名(ぬな)の里に日の宮のみやしろ(現奥の宮)を建立した時より、連綿として今に至ると言われております。瓊名の里はその後、朝日長者ヶ原、太田乃庄と呼び名が変わり、現在は越路原となっております。

持統天皇の御代、久辰稲輿玉女命(くしいなごしひめのみこと)は、奉幣使が来越した折りに、日の宮の改築を請願し、勅許を得て社殿を造営しました。

これにより越国五十六座の第一等社として、「越国総鎮守一ノ宮」の格式を賜りました。
後白河天皇の御代、大地動があり、世相が騒然となったことから、神座の安泰を祈念せよとのご神託を受け、日の宮を中之岳へ遷宮、文政年間、再び神勅を仰ぎ現奥宮に遷座致しました。

その後、昭和28年に奥宮より神明山(現中の宮)に遷座し、昭和49年に内宮殿が、昭和54年に本宮殿が建立され、平成5年には、朱塗りの奥宮大聖堂が完成し、今日に至るまで、越国を始め全国各地の信者・崇敬者から多大なる信奉を受ける、一大信仰の殿堂として鎮座しております。

宝徳山稲荷大社の歴史のイメージ
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